WEEKLY INSIDE STORY
第432号 メルマガにツイッターにフェイスブック
飛びつくのはいいが・・・
2012年09月1日
私がこのコラムを書き始めて13年目に入っていますが、この間、ITサービスは飛躍的に拡大し、現在ツイッターやフェイスブックなど、世界の民主化運動のツールとしても注目を浴びるようになってきました。
私もご多聞に漏れず、これらをかじってはおりますが、ツイッターやフェイスブックは、いまいち真剣に取り組もうという気になれません。
勿論その機能を充分理解していないせいもあるでしょうが、見ていて興味をそそらない内容が余りに多すぎるからです。
そんなとき、たまたま目にした文藝春秋9月号に、「フェイスブックが消滅する日」という記事がのっておりました。
アメリカではすでに利用者が減少傾向にあり、記事の中では、「数年間やって気づいたのですが、結局は戯言の羅列に過ぎなかったのです。別になくても生活に何の支障もきたしません・・・・」とか、「多くの利用者に倦怠期が訪れている」などと表現されていました。
成程、同じような感想を持つ人がいるんだなと思いましたが、メールのように明確なる目的がなければ、所詮手段に過ぎないものですから、最初は面白くても、結局長続きしないことを言っているのだなあと感じたものです。
更に記事の中では、「ところが1年以上経った頃、友達の日々の言動の報告を読んでいて、それで?としか言えなくなってきた。イタリアンレストランで美味しいパスタを食べましたという日記風の書き込みを写真付で見せられる。最初の頃は気にならなかったが、ある時明確に見えた。フェイスブックに登録された顔写真の向こう側にあるのは、顕示欲の断片が幾層にも重なった虚像に似た姿であることを・・・」と述べられ、強烈な書き方だなとは思いましたが、確かにそのような内容が多いのも事実です。
果たして、このような見解、フェイスブックをされている皆さんにはどう映るのでしょうか?